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2015年2月22日 (日)

「ゴジラ」を空想的平和主義呼ばわりした宮家邦彦はサヨクと同類 ぱ~と2

この度のシリア日本人人質殺害事件の影響か、 
「ゴジラ」を空想的平和主義呼ばわりした宮家邦彦はサヨクと同類 
のアクセス数が増えている。簡単に説明すると、「この人は『ゴジラ』は空想的平和主義の映画だと言ってるけど、実はそれはサヨクの思考なんだよ」と言う内容。戦後70年首相談話の有識者メンバーにも選ばれたしタイムリーだと思った。

「ぱ~と2」を書こうと思った直接の動機は、本棚にある「『言霊の国』解体新書」(井沢元彦 祥伝社)を何の気なしに読み返していたらここに書かれてあることを思い出したから。そしてさっき書いた出来事もあったし今書くのがちょうどいい。

信じてもらえないだろうが、この井沢元彦にはかなり影響を受けた。サヨク系が何を言ってきたのか、サヨク系の思考回路はどんなものか彼のおかげで知ることができた。

じゃなぜ今民主党を支持しているのかって?今の保守派の思考はそこに書かれているサヨク系の思考と同じだから幻滅した。それがさっきリンクを貼った記事と今回のテーマ。

ここ最近、「こんな知識人どもがいたら読書なんてしたくなくなるわwwwww」といったことを書いてきたが、別に読書そのものを否定したわけじゃない。古典や小説を読むのは『コミックLO』を読むのと同じ。好きだから読む。楽しいから読む。読みたくなったから読む。それ以上でも以下でもない。

で本題。その「『言霊の国』解体新書」に書かれてあったことがこれ。
「『七人の侍』は自衛隊の宣伝映画か?」の項。
おことわり。この先長いです。


 ところが、ある日、私は、私よりはるかに映画通の同世代の友人から、次のようなことを聞いたのである。友人はこう言った。
 「『七人の侍』ってのは、村人が武装集団を雇って、村を自衛するという話だろう」
 「ああ」
 「あの公開当時、あれは憲法違反の自衛隊を正当化するための宣伝映画だと悪口をいう評論家がいたんだぜ」
 「えーっ」
 私は信じられなかった。
 だが、その友人は嘘を言うような男ではない。だから私は、まったく日本の評論家というのは、どうしようもないな、と思った。これは正直に告白しておくが、その通りに思ったのである。また、あまりのバカバカしさに、正直言って、そういう発言が本当にあったのかどうか、これまで確認することすら怠ってきた。しかし、今回、『七人の侍』のリバイバル上映を記念して(?)、調べてみたら、本当にあったのである。
 十何年も前に発表された文章であるから、今では筆者の考えが変わっているかもしれないが、コトダマの害の実例として取り上げることにする。
 それはこういう発言である。
 「私は、戦争はまっぴらだった。(中略)これにたいして、外国から攻撃を受けた場合の自衛の権利はあるという議論が行われ、やがて警察予備隊は自衛隊と名を改め、本格的な軍隊へと増強されていった。この警察予備隊が自衛隊と名を改めたのが『七人の侍』の封切られた一九五四年だった。(中略)私には、このストーリーが、当時重大な政治問題となっていた自衛隊の存在を肯定し、その必要性を宣伝するもののように感じられた。そして私は、この映画に反感を持った。」(『○○○○○○』××××・著)
 正確に言えば、これは『七人の侍』を自衛隊の宣伝映画だと決めつけているわけではない。しかし、まあ、こういう形で、「反感」を持たれたら、映画作家は困惑するだろうな。


「コトダマの害の実例として取り上げ」た引用元は伏せた。「今では筆者の考えが変わっているかもしれない」し、「正確に言えば、これは『七人の侍』を自衛隊の宣伝映画だと決めつけているわけではない」とあるから。

で、冒頭にリンクを貼った「ぱ~と1」で引用した産経新聞2014年7月3日(木)付の記事。
「宮家邦彦 World Watch  空想的平和主義の限界」より。


そういえば、その後日本で封切られたほとんどの怪獣映画に共通するのは、自衛隊の戦車や戦闘機の攻撃を受けてもびくともしないゴジラなどの怪獣の姿だった。言い換えれば、当時の映画に出てくる自衛隊には仮想敵国がなく、戦う相手は怪獣だけだったのだ。ゴジラの1年先輩にあたる筆者も子供心に「どこかおかしい」とは思っていたが、このゴジラのポスターを改めて見て確信した。日本の怪獣映画とは、自衛隊が現実の敵と戦ってはいけない「空想的平和主義」を象徴する作品だったのだ。


「ゴジラ」を空想的平和主義と批判した宮家邦彦センセイ。
「七人の侍」を自衛隊を正当化するための宣伝映画と批判した進歩系知識人。

どう違うんでしょう?????

同じだろ。


「ぱ~と1」では同じく井沢元彦の著書「逆説のニッポン歴史観」(小学館)から興味深い部分を引用したが、ここでも同じものを載せる。


 いわば、局部の些細な事実を拡大し、自分たちの信奉している主義と結び付け、誇大に騒ぎ立て相手を非難する非寛容な姿勢とでも定義しようか。これは、戦後の社会党(現社民党)、日教組、あるいは朝日新聞といった「残留左翼」にも脈々と受け継がれている姿勢である。

                        中  略

 一時の労働団体のストの進め方など、戦前の陸軍にそっくりだった。だから、かつて大宅壮一は「昔陸軍、今総評」などと言ったのである。 偏見を捨てて物事を見れば、陸軍と当時の総評の体質にいかに似通ったものがあるか。陸軍は右翼で、総評は左翼だから関係ないなどと思っていると、それはとんでもない間違いになるのである。 そうした点に気が付けば、戦前も戦後も看板の中身が変わっただけで、根本的な発想の仕方はほとんど変わりがないということに、日本人は気が付くはずである。


今、その総評と大して変わらない思考をしているのが保守論壇とは情けない。
保守派の「はだしのゲン」批判もこれと同じ。
今年の1月にBPOに寄せられたという「艦これ」批判(おそらくサヨク)もこれと同じ。


そうそう、今回の記事、「ぱ~と1」とはカテゴリーが違うのでカテゴリーで調べる時には注意。

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