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2014年8月15日 (金)

日本の兵隊さんをも卑しむ三島由紀夫信者

今日は終戦記念日。ウヨク系もサヨク系もそれぞれに主張があるでしょう。

そのウヨク系って、ほとんど全部と言ってもいいくらい三島由紀夫信者なんだけど、こんな奴を憂国の士と讃えていることが、いま自分が民主党を支持している理由の一つでもある。

そのウヨク系潮匡人元3等空佐の「憲法九条は諸悪の根源」(PHP)から。


 戦後日本は、高度経済成長の波とともに自衛力を増強し、憲法典の規定は空洞化していった。「五五年体制」の長期化は「神学論争」と揶揄された憲法論議の複雑化も生んだ。自衛隊と日米安保が「合憲」であるかぎり、憲法改正は喫緊の課題とならない。結党以来「自主憲法制定」を党是とする自民党の長期安定政権は、結果として憲法改正をさらに先送りするという矛盾を孕んだものとなった。
 こうした状況に絶望し、決起した作家が現れた。昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で以下の「檄」を飛ばし、自決を遂げた。
 「憲法の私生児であった自衛隊は、『護憲の軍隊』として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか」「あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう」「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか」
 だが三島の叫びも虚しく「憲法に体をぶつけて死ぬ」自衛官は一人も現れなかった。この後、市ヶ谷駐屯地には防衛庁が移転し、この日は「憂国忌」となった。


だから「日本の兵隊さんをも卑しむ三島由紀夫信者」というタイトルを付けたんです。
「三島由紀夫信者は中国朝鮮より悪質」というタイトルでもよかったな。


その三島由紀夫こと平岡公威(ひらおか きみたけ)くんが入隊前の検査を受けた時の話。


同年(注・昭和20年)2月6日、父・梓と一緒に兵庫県富合村へ出立し、入隊検査を受けるが、折からかかっていた気管支炎を軍医が肺浸潤と誤診し、即日帰郷となる。偶然が重なったとはいえ、「徴兵逃れ」とも受け取られかねない(実際にはそのような事実関係はないが)、国家の命運を決めることとなった戦争に対する自らの消極的な態度が、以降の三島に複雑な思い(特異な死生観や「戦後は余生」という感覚)を抱かせることになる。
(ウィキペディア「三島由紀夫」より引用)


徴兵逃れか否かは分からないが、徴兵検査を受けて兵役に就かなかったという事実に変わりはないわけだ。

ここでジーチャン(母方)の形見の軍隊手帳を載せる。

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ひらおかきみたけくんが親のスネをかじりまくっていた頃、ジーチャンは関東軍にいた。
最も戦力が充実していた頃の関東軍だ。
時期的に関特演に参加したはずだがその話は聞かなかった。本人からすれば、演習のことなんていちいち覚えてられなかったのかも。
最初は旭川の連隊にいたが、第24師団が新設され所属連隊がそこに編入、師団衛生隊を経て、満州第七八〇部隊船津隊に配属された。この満州第七八〇部隊船津隊という部隊がどういう部隊なのかは知らない。もっと詳しく聞けば良かったが、この軍隊手帳をもらったのはジーチャンが死んだあとだったからな。
この手帳に同封されている上等兵の階級章を付けたジーチャンの写真の裏には、
「昭和十九年八月十五日」
と記してある。


ここに書いてあることを記す。
書いてある通りに記す。読みづらい所もあるので誤字もあるかも知れない。


昭和十五年八月三日聯隊剣術競技會ニ於テ成績優秀ニ付賞状授輿
昭和十七年二月一日侍従武官ヲ差遣セラレ御莨ヲ下賜セラル
昭和十五年四月二十九日昭和十六年乃至、同十五年支那事変ノ功に依リ賜金参拾圓也ヲ授ケ賜ス 同日従軍記章ヲ授輿


この「聯隊剣術競技會」は旭川時代だけど。
賞状は占領軍に没収されたと聞いた。従軍記章は見たことがないが、おそらくそれも没収されたんだと思う。軍隊に関する物はすべて没収されたと聞いたけど、任期満了証書は隠し持っていて額縁に入れて部屋に飾ってあった。20年前に死んだ時棺に入れた。
これが兵士として優秀なのかどうかは分からないが、兵役の義務を果たした分三島由紀夫よりはマシだ。ジーチャンは上等兵までは誰でもなれると言ってたけど、実際は5年も6年も一等兵のままという者もいたらしい。けどそれだって兵役に就かなかった三島よりはるかにマシだけどな。

このジーチャンの母方のいとこも元兵士で、ジーチャンより軍隊歴が長かったらしい。手元に彼の軍隊時代の写真があるんだが、裏を見たら「旭川工兵 初年兵記念」と書いてあるものと「昭和十五年十二月三日 上等兵」と書いてあるものとがあった。除隊した後再招集され復員し、10年くらい前に90過ぎで死んだ。


こういう人たちに向かって兵役に就かなかった三島由紀夫が浴びせたセリフ。

無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう


カネに塗れ、カネに溺れ、カネに甘え、カネが無ければ生命を維持することができない超絶ボンボンがよう言うわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ジーチャンもバーチャンも戦後間もない頃はレンジャー部隊がサバイバル訓練でやることを日常生活でやっていたが、こいつに同じことができたのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
気まぐれでレンジャー訓練を体験しただけだろ!
きみたけくんがカネに塗れ、カネに溺れ、カネが無ければ生命を維持することができない生活を続けていた時、「からっぽな経済大国」にドップリ浸かっていた時、ジーチャンとバーチャンは渡島の山林、ヒグマの生息地に泊まり込んで働いていた。雪のない間の7ヶ月間だ。それを約20年続けた。もちろん銃なんかない。バーチャンはクマが山ぶどうを食べているのを見たと言ってたが、そういう場所で7ヶ月間過ごした。こんなの第一空挺団のレンジャー隊員でも無理だろ。それをうちのジーチャンとバーチャンはずっとやってきた。

国防の大切さを唱え、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」などと叫んでも、生命に危険が及ぶヒグマの生息地で長期間活動することはできなかったようだな。
こいつの言う日本とは大都市圏だけかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
こいつを讃える奴に愛国心なんて言われたくないわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
悔しかったらやってみろってwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


こんな田舎のジジババの孫たちでも東京理科大卒が2人いるんでよろしく。

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